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漫画『あげくの果てのカノン』の感想(ネタバレ)

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『あげくの果てのカノン』全5巻の感想です。

あげくの果てのカノン

一言でいうと「不倫×SF」、初めてのジャンルです。結論から言うと面白かったし、評価が高いのも納得の作品でした。

ただ、個人的に読後は少しモヤっとしたものが残ります。だから手放しに「良い作品だった」と言うのも引っかかるんです。ですが、タイトルも含め、そういうモヤっとした感情を残したいという意図だとしたら、それは大成功だと思います。ちょっとその辺を詳しく書いていきたいと思います。

ここからは盛大にネタバレありです。未読の方はご注意ください。

『あげくの果てのカノン』の感想(ネタバレあり)

「不倫×SF」ってこういう物語になるのか。現実と非現実の狭間。

『あげくの果てのカノン』は、ジャンルを一言で言い表すならば「不倫×SF」。作品の舞台は、エイリアン(通称ゼリー)襲来によって荒廃した東京で、ヒーローポジションである境先輩は、特殊部隊員としてゼリーを倒すために日々戦闘を続けています。重症を負っては「修繕」を繰り返し、性格や記憶が少しずつ変わっていく…と、めちゃくちゃSFしてますね。

しかし、かたや主人公である「かのん」は、23歳フリーターで、境先輩を追いかける以外は平凡な日常を送っています。主人公は全然SFっぽくないんですよね。しかも不倫というリアリティ溢れるキーワード。この現実感と非現実感を混ぜ込んだような世界観が独特で、この作品の個性のひとつだと思います。ドロドロの恋愛してると思ったら、急に荒廃した町や非現実的な風景が差し込まれるんですよ。

会話がほとんどなく背景だけで魅せてくるページもあり、主人公やヒーローや周りのキャラクターたちがいる世界をきっちり描こうとしている印象を受けました。世界が広く見えるから、主人公の孤独感が際立つような気もします。孤独感というより、ちっぽけ感かな。雨が降り続いているというのも、とってもジメジメしていて良い。誉め言葉です。

主人公を好きになれなくたって良いじゃない。

正直に言います。なんて魅力の少ない主人公だろう!…と思いました。主人公「かのん」は、一途が行き過ぎてストーカー気質、好きな人のこととなると感情の歯止めができない、それ以外は平凡な女の子です。決して嫌いではないんですが、主人公のポジションにするには珍しいキャラクターだなという印象でした。ただ、そのキャラクターあってこそ、この物語が成立しているわけで…というより、かのんのキャラクターなくしては、こんな特殊な物語生まれなかったんだと思います。

かのんは、既婚者の境先輩をただ見ていただけ、先輩に言い寄られてただ流されていただけ、ゼリーが襲ってきてもシェルターに隠れていただけ。大きな仕事は何一つしていないのに、物語の中心は、やはり主人公なんだなと不思議な感覚になりました。

私は、かのんを好きでも嫌いでもないのですが、「主人公を好きになれるか」は作品を読む上でかなり重要なことだと思っています。漫画に限らず、主人公を好きになれないことが理由で読むのをやめた、ということもあると思いますし。

だけど私が『あげくの果てのカノン』を最後まで読んだのは、そういう目線で読んでいなかったからです。「主人公を応援する」とか「主人公の成長した姿が見たい」とかいうことを、この物語に求めてはいけないような気がして。主人公に期待する話では無いなと思ったので、ただただ状況を眺めると言うか、どういう風に展開してどう収束をするのかを楽しむ漫画でいいのかなと。それでいいんだ、ということがちょっと新感覚でした。

「変わらないこと」が愛なのか。「変化を許せる」ことが愛なのか。

とにかく、かのんのすごいところは「境先輩への執着」。それが愛なのか恋なのか、他の感情なのかはさておき。そして境先輩がかのんを好きになったのは、かのんの、その執着によるとこが大きいと思います。境先輩は、修繕によって感情や記憶が変化していく自分とは対照的に、ずっと変わることのない執着を持ち続けるかのんが羨ましく、憧れがあったのだと解釈しています。

かのんは、境先輩が変化することを知っていて、その実感も得ていてなお、境先輩を好きで居続けます。これは普通の人には出来ないことで、異常な執着を持っている かのんだから当たり前にできることです。妻である初穂は、境先輩の変化に苛立ったり突飛な行動をとったりしていますが、そちらの方が人として正常だと思います。初穂と境先輩の馴れ初めや、幸せだった思い出もしっかり描いているから、初穂のことを、ただ妻としてマウントをとってくる嫌な女性というだけではなく、素直に可哀想な人だと思えるんですよね(ゼリー脱走はやりすぎですが)。

境先輩が初穂を本気で好きだったのは真実で、だけど、きっと「その時」に境先輩に必要だったのは、自分を変わらず愛してくれる女性だったのでしょう。しかしまあ、その後の修繕によって、そのかのんへの気持ちも変わってしまうのですが。本当、罪な男ですよね。しかも修繕でどんどんチャラくなっていくという。だけど、それでも戸惑いながらも好きで居続けられるかのんが、かなり大物だという話です。

3話でかのんが、境先輩の食べようとしたハンバーガーを掴んで止める場面があります。見開きページ丸々使って。これは肉が食べられなかった境先輩が、肉のハンバーガーを食べるという「修繕による変化」を表した場面で、かのんは思い切りそれに動揺しているわけです。かのんは愚かな部分はありますが決して鈍感なわけではありません。それどころか境先輩のことに関してはかなり敏感です(耳のホクロに気付くところとか特に)。ただ盲目に好きなだけではなくて、境先輩のことをよく分かりながら、変化に動揺しながら、それでも好きでいるのをやめられない。それは境先輩の「その時」の理想だったのかなと思います。

「先輩は、神さまなんかじゃない。私たちは同じように身勝手な人間で、それでも先輩の存在はこんなにも素晴しくて…尊い…」

『あげくの果てのカノン』3巻

崇拝する存在じゃないと気付いたのに崇拝しなおす。この時のかのん、本当に狂ってて好きです。

修繕で変わったとしても、ひとりの女性を愛し続けることが愛なのか、かのんのように、好きな人が変わってしまったとしても愛し続けることが愛なのか。もし変化しても愛せるんだとしたら、その人の何を愛していたのでしょうか。

それに実際、修繕やSF関係なく、ただ心変わりをしてしまうこともありますしね。それは漫画でも現実でも。愛とは何かということを突き付けられているような気がして…答えの出ない難しい問いを考えさせられるようでした。

ラストは結局、「あげくの果ての」かのん。

ラストまで読み終わった瞬間、思わず困惑して唸り声がでました(笑)。別に難しいラストでもひどいラストでもないんです。受け取り方によっては、ハッピーエンドにもなるのだと思います。

最後の方で、かのんは境先輩にフラれた後、先輩を忘れようとひとり旅に出ます。日雇いのバイトで知り合った友人とカフェを開き、ケーキ作りという夢中になれるものを見つけるのです。かのんは先輩の魅力を語るようにケーキの魅力を語り、境先輩のことはもう興味が無いと言います。しかしですね、ええ何となく分かっていました。境先輩と再会したかのんは、当たり前のように以前の気持ちに引き戻されたのです。

私はこの作品においては「主人公に成長を求めない」と書きましたが、かのんは全く成長していなかったわけではありません。以前は境先輩を見続けるあまり、家族を蔑ろにし、無神経に友人を傷つけていた かのんですが、そのことを改めて自覚し、境先輩を忘れようと新しい生きがいを見つけたわけです。その10年の成長が変化が、一瞬でなかったことになるなんて!本当に「あげくの果てに」結局それかい!という…タイトル回収ですよ。お店のBGMは、かのんが境先輩を好きなったきっかけである「パッヘルベルのカノン」。10年ぶりにゼリーが再発見されたというニュースもありましたし、また昔のことを繰り返す気がしてなりません。

ただ違うのは、境先輩は離婚しているということ。恋が始まったとしても不倫ではないので、対等な関係の2人であってほしいと願うばかりです。

他の読者の方の中には、境先輩はかのんを追いかけてきたのでは?というレビューを書いている方もいらっしゃいました。しかし私は、境先輩はかのんを追ってきたわけではなく、再会は偶然だと思っています。卵の配達員として現れた境先輩は、最初はかのんを忘れているように無反応でした。わざとそっけなく接した可能性もないわけではありませんが…サインの名前と、パッヘルベルのカノンを聞いて、かのんだと気付いたような気がします。10年前、境先輩は修繕によって心変わりし、かのんのことをふったのは事実だし、修繕の変化を超えて愛が復活なんて、流れからしてそんな良い話でもないと思うんです。実際、境先輩とかのんの感動的な再会のシーンは完全なる かのんの妄想でしたし。(修繕による変化への対処が進んでいれば、昔の境先輩に戻っている可能性もあると思いますが、初穂とは離婚してますしその線も薄いかと)

このラストをハッピーエンドと呼んでいいものか私には分かりません。ただ、もし同じことを繰り返したとしても、かのんが前よりも上手に恋ができるといいな、と願います。

あげくの果てのカノン

米代恭 ビッグスピリッツ/ビッグコミックス

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